秋の日は釣瓶落とし
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昨夜遅くまで夜遊びしていたため、寝袋から這い出してきたのは午前9時前。
これでも6時間ぐらいしか寝ていませんが、体内時計は寝過ぎだと訴えるので起きてしまいました。
肌寒い室内からベランダへ出てみると見事な快晴!
今年は雨じゃなかったらスカッとした晴れかどっちか極端だな~。(・ω・;)
室内にいるより、陽の光が降り注ぐ表の方が暖かいです。
森は色付きが始まったところで、見事な紅葉という程ではありません。
あと1週間もすれば全山がオレンジ色に染まることでしょう。
顔を洗って軽い朝食を済ませます。
この山に来て10度目の秋。
毎回同じ景色、毎回同じ眺め。
おそらく10年後も20年後も、いつまでもこの景色は変わることはないのでしょう。
毎年同じ風景。
毎回同じ景色。
今までずっと。
恐らくこれからもずっと。
毎年同じなのに出会う度にきれいだと感じる。
美しさに酔いしれてずっとここにいたいと感じる。
この美しい森を読者に伝える術を知らない。
ここはつまらないページ。
退屈な内容。
綴っている文もずっと同じ。
こんな森の奥の掘っ立て小屋でそんなドラマのような日常が起きるわけがない。
変化のない風景だし、変化のない日常だし、一般家庭の光景と何ら変わることはない。
ありきたりな日記帳。
あるとすれば滅多にお目にかかれない昆虫を見つけるか、小鳥が部屋に飛び込んでくるぐらいのもんだ。
笑いの取れないようなページだし。(関西人は笑えないとつまらないと感じるのだ。)
泣ける人間模様も無い。
だからと言って、視聴率を稼ぐためのテレビドラマのような演出を作る気はさらさら無い。
ページや動画を作る上で一つだけこだわっていることがある。
こだわり抜いてポリシーになっている物。
それは、
完全オリジナル。
内容、文章、画像、動画、音楽に至るまで。
引用文やリンクを除いて、全て他者の物を使わずに完全に自分が作り上げたモノであること。
例えば、このページのスタイルシートや掲示板スクリプトや一部の画像のように、自分ではどうしても作る事が出来ない物はフリーの素材を借りてくるが、他は基本的にオリジナル。
これは自慢のつもりだった。
でも、所詮様々なシステムから逸脱することは出来ない。
インターネットと言う先人が作った物を利用するような代物。
誰かがどこかで似た物、同様の物を作って既に周知されてしまっているはずだから、私が独自とは言い切れない。
言ってしまえば、カメラ、パソコン、言葉を使っている限り、オリジナルではない。
私が今作っている物などにオリジナルは存在しないと、気付く。
しょせん、コピーなんだと。
なにか大きな物の手のひらの上で遊んでいるだけだと。
サザンカがもうすぐ咲きます。
こんなページを続けているのは。
誰も読まないモニター内の文字盤に、無駄な文字を打ち込んで行く。
ストレス解消をそれで行っていて、自分を納得させているのだ。
自己満足のためだ。
いわゆるマスターベーションという代物。
年のせいか、「禅」の世界に興味を持つようになりました。
少しばかり禅のことを学ぼうとネットでいろいろと見ています。
曹洞宗総本山永平寺。
そこには、若い人から老いた人まであらゆる世代の雲水が日々修行を積んでおられる修行道場。
厳しい作法と戒律に縛られる生活を過ごし、禅を組みひたすら真理を追い求める。
毎日同じ生活。
同じ作務。
同じ修行。
変化は自然の四季の移ろいのみだが、それも1年経てばまた同じ色に彩られる。
同じ事の繰り返しの中なのに、そこには真実が生まれ残されていく。
先人が作り上げた教えの中に多くの真理が垣間見える。
この花は「リンドウ」らしい。 保護しておかねば。
これだけは言える。
このページに書かれてあることに真理は見当たらない。
*真理
本当の事。間違いでない道理。正当な知識内容。
判断内容がもつ客観妥当性。意味のある命題が事実に合うこと。
論理の法則にかなっているという、形式的な正しさ。
そろそろ、駄文を連ねる手を止めて別のことをしようか。
他のやりたいことに集中しようかと思う今日このごろ。
ベランダに放り出しておいた灯油タンク。
残り少なの物をストーブに全量注いで空っぽにしておきます。
私が山の家に通うペースでは、毎年使用する灯油の量は15Lほど。
冬場は水道管の凍結の理由もあって夜を過ごす機会が少ないからそれぐらいで済みます。
寝具を片付け終えたら作業着に着替えて表に出ます。
今日の午前中のお勤めは前回更新分をお読みください。
前回作ったこの机。
左右に揺するとグラグラします。
補強のために金物を買ってきました。
ドリルで穴を開けてビス止めしていきます。
脚4本、4箇所とも止めたけど。
やっぱりグラグラする。
手抜きせずにダボ埋めして固定すれば良かったか。
机ってのは難しいなあ。

表に置いておくものだからこれはこれでいいだろう。
グラグラするのは、遊びだよ遊び。(;゚◇゚)
これが済んだら室内の押し入れ収納を少し片付けます。
コード類を引っ掛ける大型フックを取り付けました。
続いて、表に出て雨樋の落ち葉落とし、物置から出した物の後片付け。
細々したことばかりだけど、一つ一つに時間がかかる。
徒に時間が過ぎていく。
気が付いたら既にお日様は山の陰に入ってしまわれたらしい。
谷に山の影が伸びてきました。
まだ午後3時を少し回ったところだと言うのに。

空は明るいけれど、山の家の周囲は薄暗くなってきます。
まだ、あれもしたいし、これもしたいのに。
秋の日は釣瓶落とし。
1年で一番昼間の短い時期がやってきました。
今日予定していた作業の半分ぐらいしか消化できなかった。
大規模修繕から約5年。
そろそろ塗装がくたびれてきました。
鉄骨の塗装が浮いてきてめくれています。

放っておくとどんどんめくれて錆びが生じてきます。
手の届く範囲でいいから補修していかねば。
ここなんか謎の文字が浮かび上がって来ました。

こりゃ鉄骨の型番ですか!?( ̄▽ ̄;)
塗料の劣化はここだけじゃありません。
ベランダから下を覗き込むと。

塗膜がブツブツと浮いてきて、汚れなのか錆なのか赤茶色の点が垣間見えます。
あれも確認して必要なら補修せねば。
ベランダの木部も塗装の劣化が始まっていました。

これらの作業は一日程度では終わらない。
この冬は補修作業に費やされそうです。
森の開拓は今年も出来そうに無いかなあ。(´;ω;`)

徐々に徐々に、山の家周辺は暗くなってきました。
別荘販売の広告のように過剰に演出されたリゾートの雰囲気など、暮らしてみれば皆無なことがすぐにわかる。
山の家で過ぎゆく時間は単なる日常で面白みなど無い。
モニターの向こう側に残す記録も単なる日常を書き連ねるだけで面白みなど無い。
それでも私にとってこの森の中で過ごすことは、興味の尽きない平凡な日常なのだが。
自然の素晴らしさ、そこにある真理を伝えるノウハウを私は知らない。出来ない。
暮らしの面白さや、夢中になる高揚感を表現する方法を私は知らない、出来ない。
読者にとってこんな退屈なページは無いだろうな。
この空間に触れることが出来て幸せなのだと思う。
つまらないけど楽しい。
次に来る時は森は冬の装いに姿を変えているだろうな。
毎年見る同じ景色。
凍結の配管破損防止のため水抜きして帰ります。