山の古別荘のDIY記

番外: ルーツを辿る 前編

★目次ページに戻る

 まず最初に。
 この記事はセカンドハウスとか別荘とかとあまり関係がありません。
 住宅の知識などでもありません。

 今年、私のご先祖様が住まいし暮らしを営んできた地を訪ねる機会に恵まれました。
 そこには日本の原風景が広がっていました。
 里山を知らない都会育ちの私が見てきて感じたことを書いてみます。
 オチもありませんのでご了承を。(;^_^A







 私のご先祖様は農家。

 武士でも貴族でもなく、庄屋とか豪族とかでもない、いたって普通のお百姓さん。


 いわゆるノーミン



 ねえ、ノーミン♪ こっち向いて♪・・・


 ・・・・・










 ご先祖様代々は富山県で暮らしていました。
 戦前に私の祖父が関西へ出稼ぎに来て居着いてしまいました。
 私の家は言わば分家。
 富山の地元に帰れば親戚がたくさんいて、今でも農家をやって米作りや作物を育てています。


 祖父が名義だけ所有していた田畑が僅かですが幾つかあって、それが相続で親父に引き継がれ、親父が死んだらなぜか私が引き継ぐことになりました。 (殆ど価値無し)
 田畑は現地の叔父さんが管理してくれています。

 これらの田畑や山林にかかる固定資産税は毎年きちんと払ってます。
 しかし、今までに見たことがないので、どこにあるのやらどんな状況になっているのやら、皆目見当がつきませんでした。


 親父が他界してその土地を引き継いだ私は、今年の6月に現地へ親戚の挨拶回りをかねて、なんと約40年ぶりに訪問してきたのです。








 ご先祖様のお仏壇をお参りして、ひい爺様と本家の親戚のお墓参りをした後は、叔父さんが土地を案内してくれました。



 あぜ道が隠れて見えないので広く見えますが、この水田の中の一反ほどが私の名義の土地で、他は親戚の所有。



 「広いですね~!」
 と、私が感心しても、さすがに米どころの親戚。
 「そっかぁ~??」
 と、いたって普通な感じ。

 そりゃそうですよね。
 もっと広い田畑を持っている方はこの辺にはごまんといます。

 都会の私にとって、広大な土地を所有するというのは裕福な家庭と思ってしまうのですが、資産価値で言えば殆ど無いに等しい。
 専業農家で農作物で生業を立てている人にとっては農地は財産ですが、農家をやめてしまっていたり、年老いて耕すのが辛くなってきたりしたら、単なるお荷物の資産になってしまいます。

 跡を継ぐ者がいればいいですけど、今時農家で生計を立てて生きようという若者は少なく、また、嫁も来ない。


 ここら辺一帯は、様々な規制があって宅地にも変更できないし、ちょっと低い湿地帯なので水田しか出来ない土地。
 こう言う土地を所有しているメリットと言えばいつでも農家になれること。

 農地は専業農家か、親子代々で相続していなきゃ持てない今の法律。
 農家は完全人手不足なので、いつでも大歓迎で農家をやらしてもらえます。(近隣と仲が良くなるかどうかは別として。)


 デメリットは畑を耕そうが放置しようが税金がいつまでもかかること。
 売れないし、宅地などへの地目変更はきわめて難しい。

 最終処分方法は”放棄””譲渡”ぐらいのもの。








 本家の跡取りで町中に住んで会社勤めの叔父さんと、農家をやっている叔父さんといっしょに、私の名義になっている他の山林や畑の場所を案内してもらいます。


 一族が住んでいる土地柄は平野部が狭くて、山がすぐ後ろにある立地。
 背後の山は立山連峰へと続いているなだらかな山岳地帯です。
 山と言っても標高がいきなり高くなるわけでなく、100m~200mぐらいの台地がだらだらと続くのですが、その中に私の名義の土地や、親戚の土地が点在しているのです。

 叔父さんの車に乗せてもらって、それぞれの土地を案内していただきました。


 本家の跡継ぎである叔父さんは 本家と言うだけあって広大な土地を所有しています。
 でも本人は農業をせず会社勤め。 
 兼業でもありません。
 この叔父さんも私と同様、自分の名義の田んぼを知人や親戚に任せて耕作してもらっています。

 そして、土地名義は自分になっていて税金も払っていますが、全ての自分の土地を見たわけでは無いらしいのです。
 記憶もあやふやで、わからない場所の案内は農家をやっている従兄弟頼み。( ̄□ ̄;)!!




 ところが・・・・


 実は!



 その叔父さんも、どこに何があって、どうなっているのか、殆どうろ覚えだった!

  ( ^▽^)<わっはっはw



 「ここだったかな? いや、あっちかな?」
 と集落の道をうろうろしながら、山肌を辿っていきます。


 しばらく走って、
 「ここだ、ここだ!」

 と、全然見知らぬ一軒の家の前に車を駐めます。
 車を降りてよそ様の家の軒先を歩いて、山の方に歩いていって藪の前に立ち止まります。


 私が所持してきた固定資産台帳に書かれた住所の一つを示しながら、


 「ここに書いてある土地は、たぶんこの上だよ。」


 と、教えてくれます。







 指さす方向は完全な激藪!∑(´□`;)
 ソテツみたいな木生えてるし・・・


 この藪を分け入って、道無き道を50mほど登ると、私の名義の小さな土地が一つあるらしいです。


 「長靴はいて長袖着てナタ持って来んと、入れんっちゃ。」

 と、説明してくれる叔父さん。(;´Д`)ノ


 なんでも、この上にはお墓が2つ並んでいる場所があるそうな。
 戸籍の一番最初に記載してある明治初期のご先祖様(ひいひいひい爺ちゃん?)のお墓と、それ以前のご先祖様の名前もわからない方のお墓だとか。
 そこの周辺が我が家の先祖が最初に住まいをしていた場所だそうな。

 もともとはこの丘の上に住まいしていたのが、数代前に下の平野部に移り住んだらしいとのこと。



 案内してくれた叔父さんもそこへは十数年前に入ったきりで、今はどうなっているかわからんとのこと。

 で、その土地へ辿り着く道も今は消えてしまって、この場所から藪こぎして、丘の急斜面を登らないと行けないとのこと。(;´Д`)ノ


 「ここはスズメバチいるから、今の時期は無理っちゃ。 イノシシもいるかも。」


 と、言うわけで、この土地は入り口と思える場所の写真だけ撮って、次の目的地へ。(汗)







 再び車に乗り込み、最近出来たというスーパー農道と呼んでいる道から、細い林道に入りずんずんと山の方へと走っていきます。


 「ありゃ、ここ数ヶ月誰も入っとらんな。」
 叔父さんが言う通り、路面はアスファルトですがすっかり落ち葉が積もってしまっていて、ここ最近誰かが通行したような形跡がありません。

 鬱蒼とした森に囲まれた、軽自動車でしか入れないような狭い林道をどんどん走っていきますと、アスファルトは途切れ、地道になります。






 「ここは今年クマが一頭捕まったよ。 ほりゃ、そこに罠が置いてあるだろ。(^◇^)」

 そう言う叔父さんが指さす場所には、ドラム缶で出来たような金属のクマの罠が置いてあります。


 どえらいところだ~っ!ヽ(TдT)ノ・・・


 ガタガタと車をしばらく走らせるとぽっかりと開けた場所にやって来ました。







 「ここはずっと奥まで、うちの畑だよ。 イノシシが出るので今年は何も作っとらん。」
 「お前さんの土地は、そこの木が生えている場所な。」


 下の本家の家からは距離にして約3kmほどですが、道が狭くてスピードが出せないので車で約10分ぐらいかかります。
 標高は150mぐらいある場所です。
 木々に囲まれた山の中に畑が広がっています。


 「昔からこんな所まで来て耕してたんですか!?」 ( ̄▽ ̄;)
 
 「そうだよ。 親父(叔父さんの父)の若い頃、みんなここまで歩いてきたらしい。 たいへんだったと思うよ。 今は○○の親父(違う親戚の叔父さん)が耕してくれとる。」


 「お前のお父さん(私の父)も、疎開してた頃は、ここまで肥桶積んだリヤカー押してきたらしいっちゃ。」


 ・・・絶句。 (〇o〇;)


 山間部にお住まいの農家の方なら、これぐらいは当たり前だと思われるでしょうが、農業を知らない都会育ちの私にとって、想像を遙かに超えた環境に圧倒され驚かされたのです。


後編に続く




★目次ページに戻る

▲このページのトップへ



トップページに戻る