山の古別荘のDIY記

過ごし方

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 今から25年ほど前のこと。
 時はバブル景気の真っ最中。
 日本全体が好景気で忙しく、騒がしく、息をつく間もないほど騒然としていた頃のこと。
 ゴルフブームが訪れると共に、物価高騰、地価上昇で日本中のあちらこちらの何も無い海辺や、木々に囲まれた山間に開発の手が入りました。

 リゾートと言う言葉が私たちの生活に定着・浸透したのがこの頃です。



 28歳の時にハワイのマウイ島に行きました。
 若い時から海外旅行なんて贅沢だねって思われるかもしれませんが、これは新婚旅行。
 それ以来日本から出国するような機会が訪れないのは幸か不幸か・・・。

 マウイ島には3泊4日のステイ。
 ハワイは雨期にあたっていて、常夏の島どころか日中でも日本の春先の気温と同じぐらいでした。
 毎日のようにシトシトと降る雨で、オーシャンビューのベランダから見える海は鉛色。







 ラハイナの町を散策に行っても小さな田舎町のことですから、お土産物屋さんをぐるりと1周したらもう終わり。
 海は終日荒れ模様で泳げない。
 ホテルのプールの水も冷たくて、寒さに強い子供達でさえ泳いでいない。

 ハレアカラの山は雲の中。
 サンセットクルーズは夕日が見えない。
 マリンスポーツなんてとんでもない。
 オプショナルツアーで退屈をしのごうかと相方と相談したけど、そんなわけでどれもこれもボツ。
 終日ホテルに缶詰状態。

 ハネムーンなのでベッドでゴロゴロとしているのも幸せなのだけど、24時間ずっと居眠りは続かない。
 3日目には既に退屈で退屈で、ビールを飲みながらベランダでぼーっと景色を見ていることしか出来なくなりました。


 日本人観光客を除けば大半が、欧米の方のご老人夫婦ばかりが目に付くのが当時のハワイの観光地でした。近年は行ってないからわかんない。
 ご老人夫婦は何をするでもなく、日がなビーチサイドやプールサイドのチェアにもたれてぼーっと過ごしています。
 ただ日々過ぎゆく悠久の時間の中に身を任せている、若き日の想い出に浸りながら老後を過ごしている、とそんな感じでした。
 今まで見たことの無いようなとんでもない出来事が起こるのを、ひたすら待っていたのかもしれませんが。







 そんなご老人達と同じように部屋のバルコニーの椅子に座り、ぼーっと何も考えず、永遠に打ち返す波を眺め、空を飛ぶ鳥を目で追い、浜辺でチェアにもたれて過ごしている人たちを眺めていた時、ふと気が付きました。
 これが、リゾートって言うヤツの過ごし方なのかも、と。




 日本人は働き者。
 朝から晩、起きてから就寝するまで常にせかせかと動き回り、時間が空いてふと手持ち無沙汰になると、何かをしなければいけないような強迫観念に捕らわれて、何かすべきことは無いかと探し回る。
 のんびりとしたリゾート地に来ても、忙しそうに歩き回ったりきょろきょろして何かを物色している。
 リゾート地という場所に来てまで、日本にいる時と同じ感覚で過ごそうとします。


 ひたすらぼーっとして、悠久の時間と移ろいゆく景色に身をゆだね、何か雑然とした物で一杯詰まった心を一気に開放させるのがリゾートと言う物だ。
 若くて何も知らなかった私は、すごい物を発見したような気持ちになりました。











 「別荘で余暇を過ごす」という物に対する評価は大きく二つに分かれます。

 一つは、豊かな自然に囲まれた中で、自然に溶け込みながら生活をし、誰にも気兼ねせず無限の日々を過ごしたい。
 そのために土地や建物を自分の都合に合わせて、好きに利用出来る別荘が素晴らしい、と言う方。

 もう一つは、
 別荘地という1箇所の土地に縛られたらすぐに飽きてしまう。
 そんな物に大金をつぎ込むより、様々な観光地の様々な旅館やホテルに泊まって、様々な名物を楽しみたい、だから別荘なんて必要無いと言う方。


 これ、どちらも正解です。


 人それぞれの生活環境、それぞれの嗜好、それぞれの考え方は千差万別ですから、各自の好みの選択をすれば良いのです。







 後者の考えの強い方が所有欲に駆られて別荘なんかを購入しちゃうと、1年も通ったら飽きてしまう。
 手放すのは惜しいという気持ちもあり、資産価値と現金化を天秤にかけたりするので、なかなか売却できなくて放置状態になり、しまいには廃墟と化した建物が建ち並ぶことになります。


 少し極論を書くと、
 前者のタイプの方は、何も無い、何も存在しないところから自分の楽しみや過ごし方を見つけ出すことが出来る。

 後者の方は、既に形作られた物、自然や先人が築いた物の中から、そこに自分の楽しみや過ごし方を見いだすことが出来る。

 大きく二つに分かれると思うのです。

 現実には両者のスタイルは複雑に絡み合って混在していて、極端に分離することは不可能で、両方の意識を誰もが持ち合わせているので、上に書いたことはあくまでも極論ですけど。
 ただ、人から与えられた物にしか興味を示さない、他者がお膳立てしてくれた環境でしか過ごせない、と言う方が実際にいらっしゃるので敢えて書いてみました。




 別荘と言うところには自然が目の前にあるだけであとは何もありません。
 誰も何も与えてくれませんし、都会に見られるような景気変動や流行に応じた変化もありません。
 一から自分で形作るか、何かを見つけ出していかないと、たちまち行き詰まってしまいます。

 常に変化が有り、忙しくめまぐるしくスタイルを変えていき、何もしなくても興味を与えてくれるテレビ・ネット・音楽・情報文化に慣れ親しんだ多くの日本人には、別荘地の環境は馴染みにくいかもしれません。




 毎年同じ秋、同じ風景、その繰り返し。



 大自然以外何も無いところで何に興味を持つか。
 それを見つけられない人は、自然との共存の生活に魅力を発見することは出来ないでしょう。




  最近、ロシア語で「ダーチャ」と呼ばれる、郊外型菜園家屋の暮らし方がじわじわと関心を集めてきています。
 ダーチャとは
 ↑このページを読んでみれば、田舎の土地建物に資産活用とか処分とか、そんなたわごとは吹っ飛んでいきそうです。
 消極的なイメージがつきまとっている今の田舎と呼ばれる場所にある資産ですが、少しだけ価値のある物に変化していきそうです。


 日本人の人口減少、地方都市郊外や田舎の土地の低価格化。
 若者の貧困、極度のインフレ、資本主義の収縮。

 ダーチャは、次の世代を担う若者達や、これから世に出てくる子供達に、日本独自の風習を加味しながら、かすかに何かを与えてくれる物として浸透していくかもしれません。


 今、私がこの山の中で行っている様々なことを、少しだけ次世代に残してあげられればいいなと、そんな風に考えたりもします。
 残せる物は出来るだけ残しておいてあげたい。
 当人が不必要と考えればそれまでですが。











 山の中や海辺の人間居住地域から隔絶された場所では、郊外やマンション住まいなどでは出来ないようなことが可能になります。
 大きな庭園を構築したり菜園を作ったり。
 大型家具を作ったり、板金加工やってみたり。
 家が孤立していれば、大きい音で楽器を演奏出来たり、大声で歌ったり。

 「隣人をあまり気にしなくていい」ってのが最大のメリットでしょうか。



 で、別荘での過ごし方と特に言われてみれば・・・・


 都会での日々の生活と何ら変わりはないです。(^◇^;)

 一日中ぼーっとするのも、読書や陶芸、模型や音楽鑑賞なんて都会でも出来る。

 別荘でやっちゃダメだと言ってるんじゃないですよ。
 大自然の中だと創作意欲が沸いたり、感覚が研ぎ澄まされたりして、良い環境がプラス方向に作用しますから。








 仕事を引退して・・・、って私に引退の時が来るのだろうか。(´ヘ`;)

 老後にささやかに生活できる程度のお金と、悠久の時間が訪れたとして。
 私は何をして過ごすのだろうかと、ふと考えてみました。


 菜園?庭造り?家の修理?
 それは好天の時に打ち込めるでしょう。
 では悪天候で何日も表に出られず閉じ込められたらば、ネットもテレビも何も無い、友人知人も来ない、そんな環境で何をする?


 私ならば・・・
 酒に合う絶品おつまみの創作にでもふけるかな?
 おつまみが出来る前に、酔いつぶれて寝てしまうだろうけど。(;゚◇゚) 





 おまけ

 「秋の味覚の簡単焼肉パスタ

 具材:
 パスタ人数分
 牛肉:バラや切り落としで充分。人数分適量。
 キノコ:エノキ、シメジ、ブナ、マイタケなど。
 タマネギ:1/4個~1/2ぐらいか? 薄切りにします。
 焼肉のタレ:甘口がよい


 鍋でパスタをゆでます。

 フライパンで牛肉を炒めて、よく洗ってほぐしたキノコ類、タマネギをぶち込んで炒めます。
 焼肉のタレを適当な量注いでいっしょに炒めます。

 ゆであがったパスタをフライパンにぶち込みます。
 ソースを絡めて皿に盛り、刻みネギや刻み海苔などふりかけて出来上がり。


 我が家でも人気の高い、簡単なパスタ料理です。発案者は私

 味加減は焼肉のタレの味と量次第。
 薄かったら継ぎ足し、濃かったらあきらめて。

 具材に茄子を加えても良し。
 松茸などあると更に(゚д゚)ウマー!





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