山の古別荘のDIY記

番外: 先住者と移住者

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 最初に私個人が住んでいる地域の背景を少しばかり書きます。

 私が住んでいる市は大阪の一地方都市で人口40万人を抱えるベッドタウン。
 決して田舎ではなく大都会の郊外都市です。


 今から約50年ほど前にはこの土地周辺は水田と畑、山林が主で、田んぼの真ん中を国道1号線と私鉄が通じていました。
 大きな建物は国道1号線の沿線に工場などが建ち並ぶだけの地でした。
 それから経済成長と私鉄の沿線開発により住宅がどんどんと増えて現在の様相を呈する様になりました。


 この地の歴史は京都-大阪を結ぶ街道筋に当たる場所で、1000年以上の様々な歴史が文献などに登場してくるような地です。

 江戸時代以前から集落を営んで田畑を耕してきた昔ながらの数十軒の一族と、戦後の都市開発によって移住してきて生活を営む世代(いわゆる団塊の世代)が人口の主要を占めています。
 最近多く建ってきたマンション居住者は各マンション独自の自治をやっておられるので、ここに出てくる町内会とはあまり交流がありません




 文中記事とこの写真とは何の関係もありません。



 私がこの地へ引っ越してきたのは今から20年以上前。
 小さいけれど念願の一戸建てを購入してささやかな家庭を営み始めました。
 もちろん周囲は以前から多くの先輩方が住んでおられたので、私たちは全くの新参者。

 新参者は新参者らしく、周囲との軋轢を起こさぬ様つつましく過ごしていました。
 町内会にもきちんと加入し、地元のお祭りや行事にも文句言うことなく協力をしてきています。



 居住してから8年ほど経過した時のこと。
 町内の持ち回りの当番に当たった年がありました。
 当番の人間は毎月1回、会合に出席するルールです。
 会合には私が仕事の時間的都合で出席できないので、殆ど相方が出席して内容を聞いてきました。

 年末に近づいた時、歳末の夜回りの人選をするための会が開かれました。
 当番に当たった家庭はたいてい参加を求められます。
 私の家も求められたので拒みはせず、二つ返事で応じました。


 問題はその日程。
 12月28日29日30日の3日間に行われるのですが、私は仕事の関係上30日の最終日にしてもらえるよう相方に頼んでいましたが、どうしても人選が整わず29日の夜に当たってしまいました。

 夜回りは深夜にまで及ぶので、翌日仕事に支障が出るのはわかってましたが、仕方がないと覚悟して夜回りの当番に赴きました。


 集合時間に町内会館に入って行くと、会長さんやら他の役員さん、当番に当たった方がおられます。
 この日に出会った人は、町内会長さんを含めて全員初対面。
 いつも相方に任せていたので誰とも面識はありません。
 さっそく私は皆さんに挨拶をします。


 町内会長さんらしき人が、

 『ご苦労さんです。 今夜は時間が遅くなりますから途中で帰宅されていいですよ。』

 と会長さんは言ってくれました。
 私は遅くなるのは覚悟していたので、

 『ありがとうございます。最後まで勤めさせていただきます。』

 と、答えます。
 すると会長さん、

 『今日が無理なら明日の30日でも良かったですのに・・・

 と、一言。


 はあ?オレの嫁さん、会合でいったい何の話をしたの!?Σ(゜д゜;)


 全く私の意向とか希望が伝わってなかったようです。

 言葉の行き違いってやつですね。
 私自身が説明できなかったので仕方がないとあきらめて、皆さんと一緒に過ごします。



 第1回目午後9時の夜回りから帰って来てしばし休憩。

 その時にA氏という若い方が話しかけてきました。
 A氏はこの地に代々住んでいる一族のうちの一人。
 誰に言われなくても名字ですぐにわかりました。
 某私鉄勤務のサラリーマンで農家とかではなく、当時私(30代後半)より若い30代半ば。

 小さい声でぼそりと、


 『この土地にずっと住み続けたいんやったら、俺ら代々住んでる者の言うこと聞いといた方がええで!』



 誤解が誤解を招いてしまって何か変な風に伝わってしまったんでしょうね~。(;´Д`)ノ
 こっちの言い分なんか聞く耳持たねえって雰囲気で一方的に告げてすぐ私のそばから離れました。
 私は何も言い訳することなく静かにしていました。

 (嫌なこと言いよるなあ。 先住者のプライドってヤツか。 まあ、私は新参者のよそ者だししゃあないわな。 しかし、オレの嫁さん、いったいどんな説明をしたの!??( ̄▽ ̄;))

 っと心の中でそう思って不快な気分のまま、その日を終えました。







 もう20年以上この地域に住んでいますが、あの方達の目から見れば、おそらく私は今でも新参者の一人なんでしょうね。
 都会でもこんな閉鎖的な考えを口にする人は、年代に関係なく存在しています。

 大きなベッドタウンで住居が数百戸もあって、絶えず人の出入りがあって、少し離れれば誰が住んでいるかわからないような場所だから今でも住めるんですよね。
 数戸しか無いような農村部なら、あっと言う間に疎遠にされていじめられて引っ越していたことでしょう。




 私の住んでいる地域には二つの町内会があります。
 一つは昔からの先祖代々この地に居を構えている方達が中心になっている町内会。
 もう一つは戦後に出来た新興住宅の中央にある商店会が中心になった町内会。
 私の家はこの二つの町内会の境界ギリギリで、最初は前者の町内会に属していました。
 (今は行政から編成し直しの指示があって後者に属しています)


 昔はこの二つの町内会は同じ小学校の校区で、一つの組織だったらしいです。
 私が生まれた年代の頃に何か一悶着あって二つに分裂したと、近隣の人から聞いていました。

 A氏の言葉を聞いて、なぜ二つの町内会に別れたのか何となくわかった気がしました。









 昨今、定年退職を迎えた世代の方々が、退職を期に第二の人生を自然環境が豊かな地で農耕などをしながらのんびりと暮らしたいと考えられる方が多くいらっしゃいます。
 また、若い世代ではストレスが溜まりやすい都会の生活から解放されて、自然の中で自分らしい暮らしをしてみたいと考えて田舎暮らしを始める方々が増えてきました。

 一方で、地方都市や農漁村では高齢化のため過疎化が進み、このままでは税収減で町村自体の存続が危ぶまれることから、移住を推進しその体制を整えてきている自治体が増えてきています。




 これは私の親戚の名義の農地ですが、親戚は農家ではないので農地は名目だけで休耕田となっています。
 田畑を耕す人が急速にいなくなっています。


 両者の思惑が成り立って、都会から地方の農漁村部へ移住するUターン、Iターンという行動が定着してきたのですが、Iターンされた方が今まで暮らしてきた場所とは異なる文化・意識・生活環境に遭遇して地元の人たちになじめず、IターンからのUターン組も少なからずいると言うことが目立ってきました。



 閉鎖的な風習や閉鎖的な考えを持っている人が残っている地域はまだまだ多くあります。
 移住しても排他的で歓迎されない地域なんて山ほどあります。
 こんな村の先住民達は、地方自治体が過疎化を防ごうとして努力していることなんてこといっこうに気にしてません。

 こういう地域では人間同士のおつきあいの常識なんて通用しません。

 表の顔と裏の顔を持ち合わせている村人に苦しめ続けられることになります。
 変な人たち、意地悪な人たちによって移住先の生活は最悪な物になってしまいます。
 これは都会の住宅地でも同じなのですけど、排他的な田舎では特に顕著で、目に余るほどひどい実例があります。
 で、結局嫌になってその地を離れてしまいます。



 もう一方では、田舎暮らしに憧れてやってきて、人の好意を平気で踏みにじる様な自己中心的な行動をする人がいます。
 都会に住んでいる時でも周囲から敬遠されていたのでしょうが、自分が見えていないのでわからないんでしょうね。
 都会だと忠告してくれる人もいないだろうし、こういう人は人の言うこと聞かないし。
 最終的に集落から疎遠にされていじめられて居たたまれず出てしまいます。



 田舎暮らしの物件選びは、立地や先住の人々のものの考え方や風習だけでなく、過去の実例を入念に調べる事。
 人が離れていき過疎になっていく村、移住を募集しても入居者が定住しない村はそれなりの理由があります。

 移住者がころころ変わったり居着いていない地域は絶対に避けることですね


 これらを総合して自分自身に合致した場所を選ぶことが、失敗しないポイントの一つだと思います。








 私は激しい人見知りで、人嫌いで、変なヤツです。
 口べたなので頻繁に誤解を招いてしまいます。
 私がセカンドハウスを選ぶのに、農漁村部の古民家ではなくて、なぜリゾート地の別荘を選択したのか。

 『田舎の集落に住んでも地元に溶け込めることはできないだろうから。』

 これが理由です。




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