趣味の沼の回顧録

釣れないと熱くなる

★目次ページに戻る



 釣りという趣味にはまってしまうきっかけは何でしょう?

 ファミリーや友人達と海辺の護岸に行って「サビキ釣り」に連れて行ってもらったのが、たいていの方が釣りを始める一番のきっかけかと思います。
 バーベキューでもやりながらワイワイやって魚釣りを楽しみ、青空の下で広い海原を眺めるアウトドアの開放感は、何度行っても気持ちが良くて人を魅了します。






 ところが、釣りを本格的にやり始めると、一転一人で行動し堤防や湖沼でただ黙々と静かに竿を振り、誰も行かないような磯や渓流の奥地へ通うようになります。
 厳しい自然と孤独を愛するようになります。

 釣りにのめり込む前と後では人の行動の格差が非常に激しいんです。 個人差はありますが


 海辺にいたい。
 竿を振っていたい。
 波の音を聞き続けていたい。


 あまりにも夢中になると心がこう言う思いに占領されてしまいます。

 釣りだけではなく他の趣味も、のめり込んでしまうと同様になりますが、そのきっかけはと言うと・・・

 読まれている皆さんが推察されるとおり、のめり込むきっかけは『最初の1匹』なのです。







 陸上に立っている人間にとって、海の中はほぼ見えません。
 透明度の高いすごくきれいな海では表層1mほどの深さぐらいまでは、魚の色とか形が何となく判別出来るのですが、数mも深くなると影すらわからなくなります。
 天候が悪かったり海が濁っていたり、太陽光線の角度によっては浅い場所でも全く見えません。
 釣り人にとって、いつ何時、どんな大きさの魚が餌を食ってくるか、全く予測が付かないのです。


 ある時ある釣り人がサビキ釣りをしています。
 いきなりガクンと引ったくるように仕掛けごと竿が持って行かれます。
 あわてて竿を持ち上げると、まるで体が海へと引きずり込まれるような衝撃に見舞われます。
 強い魚の引きを経験したことのない釣り人はどうしていいかわかりません。
 あわてて竿をしっかりと握り、魚の強い引きに耐えようとします。
 (サビキ釣りの場合、針にかかった魚は大きいボラで、糸はたいてい切られてしまいます。)

 「すごい大物だ。」
 「ああ・・・、大きかったなあ。」

 「何の魚だろう? もしかしたら大きいマダイ?それともハマチ? もう少しで上げられたのに惜しかったなあ。」
 という錯覚が生じます

 切れてしまった糸を呆然と見つめ、手に魚の強い引きの感触が残り、指先が震えているのがわかります。
 (この震えは武者震い、分泌されたアドレナリンのせいです。)


 「あはは、切られたね。 ボラだよ、ボラ。」
 と周囲の経験者は教えてくれますが、

 「いや、違う! 今のはもっと大きかった。 きっと大きい鯛かマグロみたいな青物だ!(`△´+)」

 と、かたくなに認めようとしない人もいます。(;^_^A
 鯛とかマグロが湾内にいるかよ・・・


 瞬間的に頭が真っ白になり。
 夢中で魚と格闘し。
 ほんの数秒の時間が数分間にも感じられる。
 切られてバラしてしまうか、無事に釣り上げることが出来るかは別として、魚釣りの醍醐味が鮮明に釣り人の体や意識に残ります。
 
 これが、『最初の1匹』。





 人間の狩猟本能を呼び覚まされるのでしょうか?
 個人差はありますがのめり込みやすい人ほど、もう一度この感触を味わいたくて、釣りに何度も行きたくなります。





 

 今までの経験から言うと、魚がたくさん釣れた時より、釣れなかった時の方が夢中になります。
 ギャンブルと一緒ですね。
 思うような目がなかなか出なければ熱くなります。
 釣りも同じ。

 何かの偶然で、たくさん魚が釣れてしまうと、引っかかっていた何かが取れてしまいすっきりしちゃって気が抜けて、しばらく釣りをしなくてもいいや、という気持ちになります。
 反対にハイシーズンに下手に坊主なんか食らっちゃうとムキになります。

 バラシなんかやっちゃうともうたいへん。
 悔しくて悔しくて、次の週末には必ずリベンジしてやると躍起になります。
 小さい魚ばかりで望みのサイズが釣れなかった時も同様です。





 長大な防波堤で何時間も粘っている時、居並んでいる釣り人誰も竿を曲げていないと、今日は魚がいないんだなとか、魚に食欲がないんだなと思って、釣れない自分の言い訳に出来ますが、あちらこちらで竿が曲がり始めるともうたいへん。
 自分だけが釣れていない、自分が一番下手くそなんだという思いに捕らわれて焦ります。

 仕掛けが悪い、場所が悪い、餌が悪い

 なんて考えて、あちらこちらへ移動してみたり、仕掛けをいじってみたり。
 そして気がつけば夕闇が迫り周りに人がいなくなり、沖の堤防ならば迎えの最終船がやってきて、しょげて肩を落として帰ることになります。

 帰り道も自宅に帰ってからも悔しくて悔しくて仕方がない。
 当たり散らすところが無くて、しまいには道具のせいにしてしまったりします。ヽ(^▽^)

 で、次の釣行に向けてリベンジを誓うのです。


 どこかのギャンブラーと同じ。






 魚は24時間のべつ間もなく釣れるのではありません。
 撒き餌をばんばん撒けば釣れるとは限りません。
 魚が釣れるタイミングというのは1日のうちで僅かな時間と、限られた場所だけ。

 それがわかるようになるまで長い長い時間をさ迷います。

 私もその一人です。
 25年以上釣りをしてるのに、魚が釣れなかった悔しさから熱くなって、未だに釣果を求めて海へ足繁く通っています。
 コンスタントに釣果を得られるようになるまで、釣りの迷宮に迷い込んで多くの時間とお金を無駄にしてきました。


 実生活では女にもお金にももてたことがない。

 そして、魚にももてない私。

 今も熱くなったままです。(;´Д`)ノ



★目次ページに戻る

▲このページのトップへ



森が呼んでるトップページに戻る